草稿 #6



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明けの明星、世界に朝が訪れるとき、空虚に酸素が満ちてくる。過去を振り返り無き音の声を聞くことはない。死人は今を生きる者に写されているのである。長冗なる説明はいらない。私は私である前に何千という死人を見てきたのだ。それは暗部に触れてきた人間は皆見ており、人生に一度たりとも暗部に触れない人間とは、意識が開花する前に死んでしまったようなマイノリティに限られる。始まりがあればお笑いがある。始まりと終わりは似たようなものか。何億という死に、真実を見出すことはできたのか。誰にも説明できない配列の中で、大きな黒い穴が待っている。世界の終焉を誰が見届けるのか。死は完全であり、生もまた完全である。Death is perfect.つたない言語を用いるならば、世界は常に不確定でありながら、目の前にそびえ立っている。膨大な量の海水は、世界を冷やしている。循環し、一つの変数として機能している。一つの祖父は、孫に対して隔世遺伝するが、その死に様において孫に死を教える身でもある。世界が不完全なあり様を見せつつも世界はどんなレベルにおいても完全であることを示すように、祖父は人間として生物としてしての完全をその身の不完全さによって教えるのである。born to die.世界は終焉する。始まりはその偶発性によって不確定とされるが、その条件に、神を見出す根拠を求めてはいけない。死にたいのなら死ねというのは、世界における生の蹂躙である。鈍痛がする頭に水を浸したタオルをのせるが如く、生の危機において愛情を注ぐのである。絶命とは?延長されない時間は観測者の死によって無間遠に引き延ばされるか。生物的属性は、ある起点から、増殖ー平衡ー減少ー帰化の過程でもある。絶対的権威の崩落は、その平衡状態の崩れから産まれてくる。新たな発生的誕生が領土を拡大するのである。世界はその核において多様的変質を遂げる。老人が世界を知っているとは限らない。もっと深く言及するならば、最も初期において世界は知らされているのである。その抽象的実像から世界を読み取ることができれば、時間というものは一つの移動に過ぎないことがわかる。孤独線から孤立線へと移動する試み。理解されないから多弁を要する。新たな立ち位置に戸惑う者は、己のの理解の薄さにいつ気づくのだろうか。その系譜に連なる名、時系列で並べられた命に問いが与えられる。奇怪な病に侵される集落は、世界内においてある一定の数と条件を考えれば、当たり前の確率として統計にあらわれる。不落の街、消失する村は、移民すら寄せ付けない。詭弁を弄する政治家は個としての真実を失い、集団的という語に依拠する。日々の時の移ろいに割り込んでくる異物は、遊牧的国家を気づいた一族の末裔であり、その強靭な足腰と鍛えられた馬によって、日常を席捲する。蝉は鳴き始め、夜が明け、夏という季節の中心に位置する苦難は、平静な暮らしの中に潜む蛭である。