草稿 #5

そこに生まれてきたものへの殺意は、無限に拡大される。一定ではない宇宙であるならば、世界は普遍的とはいえない。有象無象の類はあれども世界にはある物しか観測されず、ないものなど確認する術はない。ポテンシャルの持つ意味とは能力である。力能である。孤独を乗り越えることができるのならば、人生はずいぶんと楽になるだろう。物語に出てくる自立した存在は全く参考にならない。孤独の絶望を知らぬ者が書いた小説など読んでも足しにはならない。臭気が漂う下水に住む小さな蟲は、空を知らない。Who does it.Who plays soccer.世界からの逸脱。知覚する器官が、器官としての能力としての能力が衰えたならば、世界は急速に衰えてゆく。進行する先行する革命である。退行と進歩の繰り返しの中で求める解は、滅亡か繁栄か。饒舌な男は、世界を代弁しているわけではない。何もかも失われたなら次にあるものは何か。全て失われたなら何もないところへ帰るだけであろうが、何もないところから生まれた私達は新たな世界へひょっこりと顔を出すのかもしれない。何かしらの期待を胸に存在し続けるならば、決してバッドエンドへ訪れないのか、孤独な病者は、どこをさ迷うのか、行き詰った者たちは、世界に絶望している。この世界の越境を目論んでも、先が見えないのである。無為真実とは何か?もう絶望の淵で世界を終わらせるのか。ありき世界のその姿を克明に記すのであれば、一時とて眠ることも許されない。知力の尽きる点まで、猛進しなければならぬ。そして世界の縁の切れ目、密室の中で描かれた世界は果てしなく透明である。澱んだ空気も射さない光も全てがなかったかのように克明に記されているのである。逃避するべきところもなく、腐って死んでゆく。どこに希みを見出せばいいのか。否定された世界、貧困、何を見て私は私であるのか。すべての欲望を断ち切り、孤居に耐えられるのか。分裂した細胞のように新たな空間を手に入れることができるのだろうか。狭い部屋を与えられ、最低限の生活を強いられる中で、生命としての退化に歯止めをかけることが可能だろうか。十代二十代の頃のような根拠のない希望というものは四十代を迎えた今、存在しない。物語を描く中で、新たな地平を見出すことができるなら、私は書き続けるべきなのか。全くの希望のない中で、希望どころか不安に苛まされながら書くことは、精神の救済となるだろうか。死人と欠落に繋がる線分は、互いに干渉し合い、分裂症者の中で同居し始める。世人との乖離をしている分裂症者は土地の衆に関わってはいない。歴史の中において隔離された存在の補償というものはみられない。あくまで存在を許されるのみである。球体を成す世界において、平面はミクロ的な視野であり、その不可思議な情景は、ある一定の限られた理解しか得られない。大きな負荷に耐えられない者は、加速されることなく自らの熱で焼け死んでしまう。炎は全き世界の負荷であり、世界のエネルギーは人々の活動に大きく関係してくる。